父方の祖母が戦中、戦後に渡り川口市にある善光寺のまかないさんをやっていてお坊さんたちのために忙しい日々を過ごしていました。母方の祖母は在家信者。毎晩聞こえてくる読経を幼稚園児の私は襖の間からこっそり眺めてました。いつも優しいおばあちゃんも、その読経の時だけは人が変わったかのように迫力のある姿・声でした。すっかり圧倒されてました。25歳で得度をした背景はそういうものが影響しているのではないかと今は思います。

この世には目に見えない力があって、あがらうことできないものがあると、ずっと小さな頃から思ってました。人の怨念は恐ろしい。人の念は活きている。漠然とそう思ってました。その思いは阿闍梨になっている今も変わってません。今、生きている人たちがそういうものに苦しんでいたり、病気になったり、怪我をしたり、亡くなったりしてます。もう30年以上も前のことです。5年生くらいの女の子が踏切で両足首がレールの隙間に入ってしまい、バランスを崩して前に倒れたら両手首もレールの間に入ってしまって動けなくなったところに電車が入ってきてしまい、亡くなった事故。ショックでした。やはり目には見えない何かがこの世には蠢いていると確信した事故の一つでした。この事故は私が天台宗の酒井大阿闍梨の第1回目の千日回峰を観たころの話です。

人の生霊、過去の怨念に苛まれてる人をそのままにしておけない。阿闍梨として、修験の先達として出来る限りのことはやって参ろうと思ってます。

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