939年朱雀天皇の勅命により、関東の戦乱を鎮めるために寬朝様が高雄山神護寺の不動明王ご尊像を捧持して難波の港から船に乗り、房総半島の尾垂ヶ浜に上陸され、成田の地にご尊像を奉安し、21日間にわたって護摩を焚いて乱の終息を祈願し、その結願の日に戦乱が終わり、関東の地に再び平和が訪れました。
寛朝様が都へ帰ろうとしたところ、ご尊像が磐石のごとく動かず、不動明王から「この地に留まり人びとを救う」というご霊告を受けます。このことを朱雀天皇にお伝えすると「新勝寺」の寺号を賜り、成田山新勝寺が開山されたのです。
その成田から636km離れた姫路に成田山明勝寺が開山されて100年。現住職で4代目。その住職より昨年5月、横浜市青葉区で姫路成田山明勝寺の北横浜教会の設立認可を受け宝驗寺を開設。新義真言宗智山派の末寺として空海様の教えを護り日々修行とその実践を繰り返しております。

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