茅ヶ崎で火葬式、その後、横浜市南部斎場で一日葬。夕方は空手道場の先生として指導。真言密教の修行と極真空手の修行は大きな差はありません。それぞれが真実を極める道の一つです。とは言え、葬儀の時に心が震えて、喪主の方に気の利いた言葉をかけてさしあげれない時があります。せっかく40年以上、武道と阿闍梨の修行をして来ているのに、まだまだ未熟です。

母親が最愛の息子を見送る時ほど心が揺れる葬儀はありません。母親の嗚咽に私自身の心が揺さぶられて涙目になってしまうのは僧侶としては失格なのかもしれません。私には自分の心に蓋をして冷めた応対など出来る訳もありません。むしろ素の私はそれを我慢するより、小さくなっているお母様に寄り添いたいと思ってしまうのです。お母様の嗚咽は本当の飾らない生き様です。私はまだ未熟者でしかありません。嗚咽の御母堂様の手を取って差し上げて、お互いの目と目で交わす暗黙の了解のあと、「ありがとうね」と言って頂くだけなのですが、気の利いた言葉をお返し出来ない時など、自身が情け無く思われるのです。

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